人的資本ROIとは?計算式・目安・改善方法と開示事例までわかりやすく解説

人的資本ROIとは?計算式・目安・改善方法と開示事例までわかりやすく解説

有価証券報告書などにおける人的資本・多様性に関する開示が求められるようになり、企業には、人材への投資や人材戦略について、投資家等に定性的・定量的に説明することが、これまで以上に求められています。人材投資の効率を示す指標の一つが「人的資本ROI」なのです。

しかし、言葉は聞いたことがあっても、正しい計算式や自社で算出した数値の評価方法、改善方法までは分からないという担当者は少なくありません。

本記事では、人的資本ROIの定義と計算方法を、具体例を交えて解説します。また、計算式に『−1』を入れる理由、ISO 30414や日本の開示制度における位置付け、他指標との違いも整理します。さらに、数値の評価方法、メリット・デメリット、改善方法、企業の開示事例を、自社で算出・活用する視点から紹介します。

本記事を読むことで、人的資本ROIを算出・解釈し、改善や開示に活用するための基本的な流れを理解できます。なお、ISO 30414は2025年8月に改訂された点も踏まえて整理しました。

※参考:金融庁「サステナビリティ情報の開示に関する情報」
※参考:金融庁『「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の一部改正(案)に対するパブリックコメントの結果等の公表について』

人材への投資価値を高め、ROIを伸ばす|従業員のコンディション支援

人的資本ROIを健全に高める鍵は、人件費を削ることではなく、一人ひとりが生み出す価値を高めることです。従業員のストレス状態の把握やメンタル面の支援を通じて、従業員が能力を発揮しやすい職場づくりを支援します。



まず、本記事の要点を、以下の早見表にまとめました。各「確認したいポイント」をクリックすると、該当の見出しに移動できます。

確認したいポイント 結論 詳細
人件費に対する利益・付加価値の比率を測る 人件費(人への投資)が、どれだけ利益や付加価値を生んだかを測る指標です
(売上−人件費を除く経費)÷人件費−1 「(売上高−人件費を除く経費)÷人件費−1」。「−1」で純増のリターン率を求めます
生産性領域の任意指標 2025年8月の改訂で要求指標が新設。日本の有価証券報告書制度において、人的資本ROIそのものは必須開示項目として明示されている指標ではありません
絶対値でなく相対評価 業界で水準が大きく異なるため、経年トレンドと同業他社で相対的に評価します
分母が人件費である点 何を分母(投資)に置くかが違い。人件費投資の効率を測り、他指標と併用します
可視化・経営連動・改善 人材投資の効果を数値で可視化し、経営戦略と連動させ、PDCAで改善できます
単年度・削減の罠に注意 中長期の価値を測りにくく、人件費を削るだけの見かけの改善は逆効果です
付加価値の向上・人件費構造の最適化・中長期的な人材投資 一人当たり付加価値の向上、人材配置の最適化、中長期投資の3軸で高めます

この記事でわかること

  • 人的資本ROIの定義と「人材=投資」という考え方

  • 計算式・計算例と「−1」を入れる理由、人件費に含める費用の範囲

  • ISO 30414(2025年8月改訂)と日本の開示制度での位置づけ

  • 目安の正しい見方と、ROE・ROA・労働生産性との違い

  • メリット・デメリットと、ROIを健全に高める具体的な方法

目次

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    人的資本ROIとは?人材への投資が生んだ利益を測る指標

    人的資本ROIとは、人件費(給与・賞与・教育研修費など)への投資が、どれだけ利益や付加価値を生み出したかを測る指標です。

    人材を「コスト」ではなく「投資」と捉え、その投資効率を数値で可視化したものと考えると分かりやすいでしょう。まずは基礎となる考え方を整理します。

    そもそもROI(投資利益率)とは

    ROIはReturn on Investment(投資利益率)の略で、投じた資金に対してどれだけのリターンを得たかを示す指標です。一般的には「利益 ÷ 投資額 × 100」で表され、投資判断の基本的なものさしとして広く使われています。

    人的資本ROIは、このROIの考え方を「人への投資」に応用したものです。設備や広告と同じように、人材への投資にもリターンがある——その効率を測るのが人的資本ROIだと理解すると、全体像がつかみやすくなります。


    人的資本ROIの意味と「人材=投資」の考え方

    人的資本経営では、人件費を削減すべき「コスト」ではなく、価値を生み出す「投資」と捉えます。人的資本ROIは、その投資効率を可視化する指標です。

    近年、企業価値を左右する要素として、ブランドや技術、人材といった「無形資産」の重要性が高まっています。なかでも人材は、企業価値の形成に関わる重要な無形資産の一つと位置付けられ、財務諸表に表れにくいその価値をどう測り、伝えるかが問われています。

    人的資本ROIは、こうした非財務情報を重視する潮流の中で注目される指標です。

    なぜ今注目されるのか(人的資本経営・開示義務化)

    人的資本ROIが注目される背景の一つに、人的資本・多様性に関する開示要請の高まりがあります。

    2023年3月期決算から、有価証券報告書等を提出する企業に対して、人的資本・多様性に関する情報開示が求められるようになりました
    。人材投資の状況や成果を、定量的な情報も用いて説明する重要性が高まっています。

    経済産業省の「人材版伊藤レポート」(2020年)が人的資本経営の議論を後押しし、その後の開示制度整備にも影響を与えました。投資家に対して「自社は人材にどう投資し、どんな成果を生んでいるか」を語るうえで、人的資本ROIは、人材投資と財務的成果の関係を説明する際に活用できる指標の一つです。

    人的資本経営の全体像は「人的資本経営とは?背景と企業が取り組むべき施策・実践ステップを解説」で詳しく解説しています。

    ※参考:経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~」

    人的資本ROIの計算式と計算方法【具体例つき】

    ここからは、最も関心の高い「計算式・計算方法」を解説します。

    基本の計算式、計算例、『−1』を入れる理由、人件費に含める費用の範囲の順に見ていきましょう。

    基本の計算式(人的資本ROIの代表的な算出式)

    人的資本ROIは、ISO 30414の人的資本報告・開示の考え方とも関連する投資効率指標として扱われることがあります。代表的な計算式は次のとおりです。

    人的資本ROI =(売上高 − 人件費を除く経費)÷ 人件費 − 1


    式を分解すると、分子の「売上高 − 人件費を除く経費」は、人件費への投資に対するリターンを算定するための基礎となる数値です。分母の「人件費」は、人的資本への投資額です。つまり「人への投資が、その投資額を上回ってどれだけの価値を生んだか」を示しています。

    なお、売上高から人件費を含む営業費用を差し引いた数値を営業利益とする場合、上記の式は「営業利益÷人件費」と同じ結果になります。ただし、使用する利益区分や費用の定義は、算出前に確認する必要があるため留意しておきましょう。出典によって「−1」の扱いや表記が分かれるため、自社では一つの定義に固定して使うことが大切です。

    計算例:数値を当てはめてみる

    実際に数値を当てはめてみましょう。例えば、ある企業の収益(売上高)が80億円、総経費が40億円、そのうち人件費が30億円だったとします。

    人件費を除く経費 = 40億円 − 30億円 = 10億円

    (80億円 − 10億円)÷ 30億円 = 70 ÷ 30 = 2.33

    2.33 − 1 = 1.33(133%)


    この場合、企業の人的資本ROIは133%です。

    これは、人件費1単位に対し、投資額そのものを除いた純増分として、1.33単位相当のリターンが算出されたことを意味します。後述しますが、投資額を含む倍率は2.33倍です。ただし、結果は費用構造によって大きく変わるため、自社の実数値で計算してみることが大切です。

    なぜ式に「−1(マイナス1)」を入れるのか

    「−1」は、投資額(人件費)そのものを差し引くための項です。これがあることで、「投資額そのものを控除した純増分の比率」を求められます。

    「−1」がない状態(上述した例の2.33)は、「投じた人件費の何倍の価値を生んだか=倍率」を表します。ここから1(=投資額そのもの)を引くと、「投資を超えて新たに上乗せした分=純増のリターン率」(例の1.33=133%)になります。

    ですから投資効率を語るうえでは、この純増分を見る「−1」入りの式が用いられます。

    「人件費」に含める費用の範囲と計算の注意点

    計算でつまずきやすいのが、分母の「人件費」にどこまで含めるかです。人件費には、給与・賞与のほか、法定福利費、教育研修費、福利厚生費などを含める場合があります。

    ここで注意したいのは、算出目的や採用する定義によって対象範囲が異なるという点です。

    範囲を取り違えると数値が大きくぶれ、他社比較や経年比較ができなくなります。そのため、自社のどの勘定科目を集計するかをあらかじめ決定し、定義を固定して毎期同じ基準で算出することが、比較可能性を確保するうえで重要でしょう。


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    人的資本ROIを健全に高める鍵は、人件費を削ることではなく、一人ひとりが生み出す価値を高めることです。従業員のストレス状態の可視化やメンタル面の支援で、エンゲージメントと生産性を押し上げ、人材投資のリターン向上につなげます。




    ISO 30414と人的資本開示における位置づけ

    人的資本ROIを正しく扱うには、国際規格ISO 30414と日本の開示制度の中での位置づけを押さえておく必要があります。2025年の規格改訂という最新動向もあわせて整理します。

    ISO 30414とは(2025年改訂で14の要求指標を導入)

    ISO 30414は、人的資本の報告・開示に関する国際規格です。人的資本ROIは、その中の「生産性」領域の指標に位置づけられています。

    初版のISO 30414:2018は、人的資本報告に関するガイドラインとして策定されました。2025年8月に発行された第2版では、推奨事項に加えて要求事項が導入されています。あわせて、ISO/TC 260の公式ニュースでは、2025年版で要求事項が導入され、14の要求指標(required metrics)が設定されたことが説明されています。

    なお、ISO 30414:2025では、生産性を含む複数の人的資本報告領域が示されています。人的資本ROIをどのように扱うかは、ISO規格本文の定義や自社の開示方針を確認したうえで判断する必要があるでしょう。2025年版では、推奨事項に加えて監査可能な要求事項が導入されています。一方、人的資本ROIを自社の開示に用いるかどうかは、企業の開示方針や重要性の判断によります。

    ※参考:ISO 30414:2025, Human resource management — Requirements and recommendations for human capital reporting and disclosure
    ※参考:ISO 30414:2025, Strengthening Human Capital Reporting and Disclosure

    日本の人的資本開示の義務化との関係

    日本では、2023年3月期決算から、有価証券報告書等を提出する企業に対して、人的資本・多様性に関する開示が求められるようになりました。

    「2026年2月20日には、改正開示府令が公布・施行されました。2026年3月期からは、連結ベースの企業戦略と関連付けた人材戦略や、それを踏まえた従業員給与等の決定方針の開示が求められます。提出会社の従業員については、平均給与の対前年比増減率なども開示対象となりました。

    人的資本ROIは、こうした制度対応の文脈で関心が高まっている指標です。

    ※参考:金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令及び特定有価証券の内容等の開示に関する内閣府令の一部を改正する内閣府令」等の公布及びパブリックコメントの結果について

    ※参考:人的資本可視化指針(改訂版)

    人的資本ROIは「義務開示項目」ではない点に注意

    誤解されやすいのですが、人的資本ROIは有価証券報告書の必須開示項目そのものではありません


    女性活躍推進法等に基づき公表している場合には、女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差などの多様性指標について、有価証券報告書等での開示も求められます。

    人的資本ROIは、ISO 30414における人的資本報告・開示の考え方とも関連する投資効率指標であり、自主開示や社内モニタリングに用いられます。そのため、人的資本ROIは、自社の人材戦略と財務的成果の関係を説明する必要性を踏まえ、活用の適否を判断する指標といえるでしょう。

    ※参考:金融庁「サステナビリティ情報の開示に関する情報」
    ※参考:金融庁「「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の一部改正(案)に対するパブリックコメントの結果等の公表について」

    人的資本ROIの目安・平均の正しい見方

    「自社の数値は高いのか低いのか」を知りたい方は多いですが、結論から言うと、人的資本ROIに絶対的な基準値を設定することは難しく、経年推移や同業他社との比較を通じて相対的に評価する必要があります。

    人的資本ROIに一律の目安値を置くことは適切ではありません。業界、ビジネスモデル、人件費構造、算出定義によって水準が大きく異なるため、経年推移や同業他社との比較を中心に評価することが重要です。

    業界・ビジネスモデルで水準は大きく異なる(業界別の例)

    人的資本ROIの目安・平均は、業界や収益構造によって大きく異なります。

    売上に対する人件費の比率(人件費率)が低い業界ほど数値は高くなる傾向があり、単一の「理想値」は存在しません。そのため業界比較を行う場合は、算出定義や対象範囲が近い企業同士で比較することが重要です。

    <業界・ビジネスモデルによる見え方の違い>
    ※以下は、人件費構造による一般的な見え方を示したものであり、実際の水準は企業ごとに異なります
    業界の傾向 人件費の構造 人的資本ROIの水準
    卸売業など 売上に対する人件費率が低い 高めに出やすい
    製造業など 中程度 中程度・収益トレンドの影響大
    サービス業など 人件費率が高い(労働集約的) 低めに出やすい
    したがって、人件費構造の異なる他業界との単純比較では、有用な示唆を得にくい場合があります。安易な他業界比較を行うことは、可能な限り避けるべきでしょう。

    経年変化と同業他社で相対比較する(ランキングの一人歩きに注意)

    自社の数値は、過去からの推移(経年トレンド)と、同業他社との比較という2つの軸で相対的に評価するのが基本です。単年度の絶対値だけで「高い・低い」を断定するのは適切ではありません。

    「ランキング上位だから良い/下位だから悪い」といった順位の一人歩きにも注意が必要です。経年で上昇トレンドにあるか、同業他社との違いを確認することで、課題を検討するための手がかりを得られます。

    人材への投資価値を高め、ROIを伸ばす|従業員のコンディション支援

    人的資本ROIを健全に高める鍵は、人件費を削ることではなく、一人ひとりが生み出す価値を高めることです。従業員のストレス状態の可視化やメンタル面の支援で、エンゲージメントと生産性を押し上げ、人材投資のリターン向上につなげます。



    ROE・ROA・労働生産性など他指標との違い

    人的資本ROIをより深く理解するために、よく似た他の指標との違いを整理します。何を「分母(投資・評価の対象)」に置くかが、それぞれの指標の本質的な違いです。

    <人的資本に関する主要指標の違い>
    指標 何に対する効率を測るか 主な役割
    人的資本ROI 人件費(人への投資) 人材投資の効率を可視化
    ROE(自己資本利益率) 株主資本 株主から見た資本効率
    ROA(総資産利益率) 総資産 資産全体の活用効率
    労働生産性 従業員1人(1時間) 一人当たりの付加価値


    財務指標(ROE・ROA)との違い

    ROE・ROAが株主資本や総資産に対する利益効率を測るのに対し、人的資本ROIは「人件費投資」に対する効率を測る点が本質的に異なります

    従来の財務指標では、「人への投資がどれだけ成果につながったか」は見えにくいものでした。人的資本ROIは、財務指標だけでは把握しにくい人件費投資の効率を確認するための指標の一つです。財務指標と人的資本ROIは、対立するものではなく補完し合う関係にあります。

    労働生産性・労働分配率との違いと併用

    人的資本ROIは、一人当たり付加価値(労働生産性)や労働分配率と組み合わせることで、課題を多面的に検討しやすくなります。

    給与等の人件費は、概念的には『人数×1人当たりの費用』に分解できます。なお実際の分析では、法定福利費や教育研修費など、算出対象に含めた費用も考慮する必要がある点を押さえておきましょう。

    ROIだけでは「人数が多いのか、単価が高いのか、効率が低いのか」までは分かりません。労働生産性や労働分配率と併せて見ることで、人数・単価・効率のどこに課題があるのかが見えてきます。ROIが単年度指標であるという限界を補ううえでも、他指標との併用が重要です。

    人的資本ROIを活用するメリット

    人的資本ROIを算出・活用するメリットは、「可視化」「経営連動」「改善」の3つの軸で整理できます。

    人材投資の効果を可視化し説明できる

    人件費投資と、企業全体の利益・付加価値との関係を、定量的に確認するための材料になります。なお、個別施策の効果を評価する場合は、施策ごとのKPI等を併用する必要があります。

    これまで定性評価が中心だった人材投資を定量化できるため、経営層や投資家への説明がしやすいだけでなく、説明責任を果たし、データドリブンな人材戦略へと踏み出す土台となるでしょう。

    経営戦略と人材戦略の連動を説明しやすくする

    人的資本の状況を定量的に把握することで、経営目標に沿った人材戦略の策定・実行が可能になります。

    「戦略と人材の連動」は、人的資本経営の核です。数値を人材戦略の検討や開示に活用することで、経営戦略との関係を説明しやすくなります。こうした開示は、ステークホルダーとの対話に役立つ可能性があります。

    なお、人材を戦略的に活かす仕組みづくりは「タレントマネジメントとは|取り組むべき理由と具体施策を解説」も参考になります。

    施策の比較・PDCAで継続的な改善につなげる

    人的資本ROIは投資対効果を比率で表すため、算出定義をそろえれば、事業や施策の規模に左右されにくい比較指標として活用できます

    施策ごとのKPIや費用対効果と組み合わせ、投資の優先順位を検討したり、過去データと比較して改善の進捗をモニタリングしたりと、PDCAを回すための指標として活用できます。


    人的資本ROIのデメリット・注意点(指標の限界と誤用)

    一方で、人的資本ROIには構造的な限界もあります。誤用を避けるために、「中長期を測りにくい」「数値化の限界」「人件費削減の罠」の3点を押さえておきましょう。

    単年度指標のため、中長期の価値を測りにくい

    人的資本ROIは単年度の費用対効果を示す指標であるため、育成やリーダー開発のように長期で成果が表れる人材投資を、単年度の数値だけでは十分に評価しにくいという弱点があります。

    現時点でROIが低い場合、人材育成などには、成果が表れるまでに一定の期間を要する施策があります。単年度の数値だけで判断すると、こうした施策を見落とすリスクがあるため、トレンドの移り変わりや他指標との併用で補うことが欠かせないといえるでしょう。

    数値化しにくい投資効果は反映されない

    エンゲージメントの向上や、研修受講に伴う機会費用など、数値化しにくい効果は式に反映されません。ROIの数値が低い施策でも、従業員満足度、組織風土、顧客対応の品質など、見えにくい価値を生んでいることがあります。

    そのため、ROIの数値だけで施策の良し悪しを判断するのは不適切で、定性的な情報と併せて総合的に判断する必要があります。数値化しにくい効果の一つであるエンゲージメントについては「従業員エンゲージメントの意味とは?社員の意識を向上させる施策やメリットを解説」の記事をご参考ください。

    人件費を削るだけの「見かけの改善」は逆効果

    特に注意したいのが、人件費の削減など「見かけの改善」です。分母の人件費を抑えれば短期的にROIは上がりますが、過度な人件費削減は、人材流出やスキル低下を招き、中長期的な競争力に影響を及ぼす可能性があります。

    健全なROIの高め方は、人件費を削ることではなく、収益貢献に資する人件費投資によって分子(生み出す価値)を伸ばすことです。この視点を、次の改善方法の章で具体的に見ていきましょう。

    人材への投資価値を高め、ROIを伸ばす|従業員のコンディション支援

    人的資本ROIを健全に高める鍵は、人件費を削ることではなく、一人ひとりが生み出す価値を高めることです。従業員のストレス状態の可視化やメンタル面の支援で、エンゲージメントと生産性を押し上げ、人材投資のリターン向上につなげます。



    人的資本ROIを高める具体的な方法

    人的資本ROIを健全に高めるアプローチは、「分子を増やす」「分母を最適化する」「中長期投資でリターンを高める」の3軸で整理できます。

    分子を増やす:一人当たり付加価値・生産性を高める

    基本的な考え方は、一人ひとりが生み出す利益(付加価値)を高めることです。

    業務効率化やDXの推進、付加価値の高い事業へのシフトなどが代表的な打ち手です。無計画に進めるのではなく、自社の戦略や課題に応じて優先順位をつけ、重点領域を見極めることが重要です。

    分母を最適化する:人材ポートフォリオと配置を見直す

    分母の最適化とは、単なる人件費削減ではありません。事業戦略と人材配置のずれを見直し、人件費投資の配分を最適化することを指します。

    要員計画の見直し、スキルに基づく適正配置、人材の過不足の把握などが具体的な施策として挙げられます。併せて、人件費として集計する勘定科目を整理し、継続的に把握できるようにすることも重要です。

    人事業務の整理・委託で戦略領域にリソースを割く方法は「人事・採用コンサルティングサービス」で確認できます。

    教育研修・エンゲージメント投資で中長期のリターンを高める

    リスキリングやエンゲージメント向上への投資は、短期的には費用として表れますが、中長期的には生産性や定着率の改善につながる可能性があります。

    研修の実施状況やエンゲージメントサーベイの結果といった中間指標を設定し、継続的に検証する考え方は、人材版伊藤レポート2.0で示される人材戦略の検討にも通じるものです。

    人的資本ROIの開示・活用事例と始め方

    最後に、自社で算出・改善・開示に活かすための実践的な視点を、事例・ストーリー開示・継続モニタリングの順に整理します。


    企業の開示を確認する際の注意点

    人的資本ROIを管理指標として開示・モニタリングしている企業もあります。ここで重要なのは、算出式が企業ごとに異なるという点です。

    例えば「利益額 ÷ 人件費 − 1」「経常利益 ÷ 人的資本コスト」など、各社が自社に合った定義を採用しています。そのため、他社の数値をそのまま比較するのではなく、「どの定義で算出しているか」を確認することが欠かせません。

    具体的な企業名や数値は、各社の最新の開示資料(統合報告書・人的資本レポートなど)で確認のうえ参照しましょう。

    経営戦略と関連付けた「ストーリー」として開示する

    開示で大切なのは、数値を羅列するのではなく、経営戦略、人材戦略、具体的な施策、指標、成果の関係が分かる形で説明することです。

    内閣官房の「人的資本可視化指針」でも、経営戦略と人材戦略・人的資本投資の関係性を明確にし、測定可能な指標や目標とあわせて開示・対話につなげる考え方が示されています。

    開示自体を目的化せず、投資家等に対して、自社の経営戦略と人材戦略の関係を説明する機会と捉えることで、企業価値向上に向けた対話につなげやすくなるのです。


    現状の人的資本ROIを算出し継続的にモニタリングする

    改善や開示の出発点は、費用区分を整理して現状の数値を算出することです。いきなり目標値を設定するのではなく、現状把握から始めましょう。

    そのうえで、人事データを一元化し、継続的にモニタリングできる体制を整えることが重要です。一度算出して終わりにせず、継続的に算出・分析・改善できる体制を整えることが、改善と開示の土台になります。なお、人的資本経営の考え方や人材戦略の枠組みは、経済産業省「人材版伊藤レポート」「人材版伊藤レポート2.0」で体系的に整理されています。最新の制度内容・指標は、行政・規格の一次情報で確認することをおすすめします。


    まとめ|まずは自社のROIを算出し、相対評価と改善・開示につなげる

    人的資本ROIは、人件費投資の効率を測る指標です。正しく算出・解釈し、メリット・デメリットを踏まえて改善や開示に生かすことで、人的資本経営を検討・推進するための材料になります。 最後に、本記事の要点を整理します。


    • 定義:人件費(人への投資)が生んだ利益・付加価値を測る指標
    • 計算式:(売上高 − 人件費を除く経費)÷ 人件費 − 1。「−1」は純増リターン率を出す項
    • ISO 30414・開示:2025年8月改訂で要求事項・推奨事項を含む規格となった。日本の有価証券報告書制度では、人的資本ROIそのものは必須開示項目として明示されていない
    • 目安の見方:絶対値ではなく、経年トレンドと同業他社で相対評価する
    • 他指標との違い:何を分母に置くかが本質。ROE・ROA・労働生産性と併用する
    • メリット・デメリット:可視化・経営連動・改善に有効。一方で単年度指標、人件費削減の罠に注意
    • 改善:分子を増やす/分母を最適化する/中長期投資の3軸で健全に高める

    まずは算出目的と費用区分を整理し、自社の人的資本ROIを試算することから始めましょう。
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